こんにちは。aiです。
「神楽坂検定」なるものがあると知り、調べてみました。
神楽坂の歴史・地理・文化・建築
店舗等の全般について出題されます。
今年は、2月26日(日)が試験。
なんと!もうすぐだ!
神楽坂を知る良い機会だと思って、
こちらの教科書をゲットしました♪
NPO法人 粋なまちづくり倶楽部が主催している検定です。
いけるかな~と思ったのですが、
知らないことだらけ!
弱気になり、受験の申し込みを迷っています……(^^;
教科書は神楽坂の歴史、古代~中世から始まりました。
神楽坂の歴史を、皆さんにちょろっとお伝えします♪
神楽坂の地層からは縄文時代の貝塚、
縄文土器や須恵器などの破片が発掘されています。
縄文時代から人が住み続けている街なんです。
中世~江戸のはじまりまでは、
神楽坂の主な通りは軽子坂でした。
・・・現在軽子坂にあるお店はこちら↓・・・
・ラストリカート
・ソリッソ
・コメドールエルカミーノ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
現在の神楽坂通りが造られたのは、寛永13年(1636年)
将軍が江戸城に向かう、御成道として造られました。
神楽坂には江戸期から続く老舗が多く残っています。
文具店の「相馬屋」
こちらは、万治2年(1659年)以前から続いているそう。
相馬屋の裏庭には、
牛込城の石垣の一部が現存しているという、
歴史的にも貴重なお店です。
弘化年間(1844年~1847年)には、
花屋の「花豊」が創業。
(サロンのポインセチアは花豊で買いました☘)
東京で最も古い花屋さんだそう。
明治に入ると、
中華の「龍公亭」
帽子と傘の「ヤマダヤ」など続々と
見慣れたお店が創業されています。
神楽坂といえば「料亭・花街」ですが、
住んでみるとザ・料亭!という印象とは違いました。
現在は4軒の料亭と、約20名の芸者さんがいるそうです。
花柳界の全盛期は昭和12,13年ごろ。
料亭、待合が約150軒、芸者衆の人数は約600名と、
私のイメージした「神楽坂」がその数字にありました。
そして現代へ。
今の素敵な神楽坂があるのは、
商店街の方々の大いなる努力の結果と知りました。
かつての神楽坂は、
戦後の古い建物と新しい細長のビルが混ざり、
雑多な印象があったようです。
昭和63年、新宿区が「新宿都市整備方針」を策定し、
「神楽坂・飯田橋」は都市活動拠点として位置づけられ、
平成に入り環境整備事業が導入されます。
神楽坂の変化を目前にし、
商店会会員の方々が、度重なる議論を重ねて、
「親しみやすいスケールの街並みを活かす」
「個々の建物で演出・工夫をしていく」という考えのもとに、
主要な4つの項目を定めました。
・街並みの連続性をつくるー壁面線をそろえる
・親しみやすい街並みをつくるー高さをおさえる
建物の高さは6階までとして、7階以上の部分は後退する
・ゆとりと粋な工夫のための空間ー店先空間を整備する
・粋な工夫をするー意匠等の工夫につとめる
納得することばかり。
今ある神楽坂の賑わいは、街の方の
努力や神楽坂愛の賜物なのです。
歴史の次は地理…。
検定申し込みの締め切りは、2月10日。
うぅぅ。
もっと早く勉強すればよかった。
学生のころを思い出しています^^;
最後まで読んでくださってありがとうございます。
今日も「いいこと♪」ありますように。
・・・追記・・・
中級に合格しました\(^o^)/
Pingback: 近江屋 | 美容鍼灸師の美味しい神楽坂
Pingback: salon de thé Un Gâteau – 美容鍼灸師の美味しい神楽坂
Pingback: 香舗椿屋 – 美容鍼灸師の美味しい神楽坂